見落とし
「おはようございます」。看護婦の西田さんがDI室に入ってきた。「203号室の田中一郎様ですが、最近注射の時、血管痛を訴えられますが」と話を切り出した。
この患者さんは救急車で2週間ほど前に入院された。心臓の病気があり、すぐ点滴注射などが開始されていた。入院5日目で少し病状が落ち着かれ、注射の一部が内服になった。さらに今週に入り、また薬の一部が変更になっていた。優秀な看護婦の話は、簡潔で順序よく、分かりやすかった。
「では、薬の方から問題がないか調べます。少し時間をくださいね」「お願いします」と言葉を交わして彼女は退室した。
上田病院では、ほとんどの入院患者さんへ服薬指導を行っている。服薬指導はベッドサイドでの患者さんとの話が主となる。しかし救急での入院患者さんには、病状が落ち着かなければ迷惑な場合も考えられる。この方については、もうそろそろ服薬指導をと、医師や看護婦と相談していた矢先であった。
私はパソコンの前に座り、患者さんの情報を引き出した。思ったとおり、次々に薬が変更しながら使われていた。「おやっ、これだ。ソルダクトン」。ほとんど確信を持ってパソコンの画面を見つめた。すぐ注射業務担当の若い薬剤師を呼び出した。
「この患者様の注射セットは覚えがありますか」。彼は何事かわからず不安げにうなずいた。パソコン画面を示しながら、この患者さんの注射情報を入力した記憶があるか、この薬が今日で15日目のことに気がついていたか、確かめた。
ソルダクトン注射液は尿の出をよくしてむくみをとる薬である。連続では通常14日以内の注射とする。それ以上は血管痛が出ることがあるため内服に変更するようにと、注意事項で示されていた。
彼はこれを見落としていたことを正直に告げた。
「ではこのパソコンの情報が正しいか、まずカルテで確認しましょう。この患者様のカルテを持っていらっしゃい。担当看護婦に持ち出しの了承を取ってからね」。私の指示に彼はようやく事態がのみこめ、あたふたと出ていった。私はカルテと添付文書、薬品情報集などでの確認作業を彼に教えながら、見ていった。「すみませんでした。14日以上の注射はいけませんでした。気がつかなくて」。彼は肩を落とした。
「君はこの注射を毎日セットしていたのでしょう。薬物治療の支援とは、セットを正しくすることだけではないですよ。処方内容の検討が薬剤師の仕事です。医師や看護婦がチームの一員としての薬剤師に期待している役割をきっちりやりましょう。これだけ病状が安定してきてドンドン注射が減ってきた。内服に変わってきた。薬剤師としては、次はソルダクトンを内服にしてはどうでしょうかと、一声かけるべきでした。見直しが大切でしたね。漫然とした治療からは良い結果は生まれませんよ。」
かわいそうに彼はさらに小さくなって行った。ここで甘やかせないのが薬局長の辛いところである。私は心を鬼にして厳しい口調を続けた。
「一番かわいそうなのは患者様よ。回復されてきて、飲んだり食べたりできるようになっても、点滴などの注射はまだ当分続くでしょう。その中で、さらに痛い思いが続いて。患者様に申し訳なかったわね。今後気をつけましょう」
私は、このことを医師に正直に話すように、彼に指示した。その上で医師から新しい指示が出た時、事故が起きないように確認作業をすることも付け加えた。ネコ背になった後姿に私はことさら明るい声で「がんばって」と一声かけた。
このような毎日が信頼される薬剤師を育てると信じ、時々うるさい薬局長になる私なのでした。