薬学生の病院実習
(参考資料1)
(参考資料2)
病院実習は、学生が医療現場をじかに体験する機会である。医師や看護婦が学生時代にこの実習を行うことは広く知られている。薬学部の教育は長年、有機化学や創薬中心であったために、臨床経験が重要視されないでいた。薬学生にもかなり以前から、2週間の実習が行われていた。しかし近年になって、この病院実習は医療の担い手としての薬剤師教育が望まれ、見直されてきている。
昭和41年夏、私は薬学部の3年生であった。石川県の松田病院の薬局で実習をしていた。病院玄関を入るとすぐ薬局が右手にあり、二方向ガラス張りで、とても近代的な感じがした。しかしせっかくの窓は、一方を白いカーテンでふさがれ、もう一方は半分だけやっとカーテンが開けられ、そこから患者へ薬の受け渡しが行われていた。
不思議に思っていた私に薬局長は「薬剤師は見せ物ではない」と答えた。ガラス窓とカーテン。薬局長の答えは私に、少々嫌な印象を与えた。
松田病院には2週間通った。この間に薬局業務について一通り口頭で説明を受けた。まったくの立ちっぱなしで一方的に説明を聞くだけであった。毎日目まぐるしく業務が行われていたため、学生は邪魔な存在のようであった。
午後の比較的ゆっくりした時間は粉薬の予製剤を1週間分にまとめることや軟膏剤を詰める手伝いをした。2週間はあっという間に終わり、臨床現場をみての感激や感動は、何も得られなかった。
昭和61年夏、勤務していた上田病院に、明治薬科大学から病院実習の申し込みがあった。当時の薬局では薬剤師は私一人、事務員一人であった。私は学生の扱い方や思いを格別大切に考えていなかった。実習生の広田君は好青年で性格も良く、まじめであった。広田君は講義で得られた知識の実践現状が見たいとか、医師や看護婦の働いている様子を医療者側から見たいと要望した。彼はまた実習終了時に「調剤が細かい仕事ばかりで自分には向かないから、病院には勤めません」と話した。彼が病院希望とばかり思って接していた私のショックは大きかった。
その後、平成4年からほぼ毎年、病院実習の申し込みが各大学から寄せられるようになった。学生の夏休み中に2週間の実習がほとんどであり、大学の選択科目の一つという扱いであった。実習に来る学生は、病院の近くに居住する者が多く、卒業後の上田病院への就職を考えていることを明言する者もいた。
近年、薬剤師をとりまく環境が大きく変化してきた。医薬分業が叫ばれ、薬剤服用歴をみすえた保険調剤のあり方や服薬指導と薬剤情報提供の義務化である。現在上田病院の実習プログラムは、薬局業務と薬局以外の他部門見学実習の二本立てとしている。薬局内での実習は調剤や製剤、医薬品情報の扱いなど、薬剤師業務が中心となる。薬局以外の他部門見学実習は医師の診療見学、看護婦の処置や検査などの見学、病棟での看護や介助見学である。これは単に薬剤師養成より医療全般を考える医療人を育てたいと考えたからである。
学生の多くは、高齢患者に接することで大きなショックを受ける。患者の身体を拭いたり、洗ったり、また食事の介助をする。あまりの衝撃で目に涙を浮かべて感想を話す学生もいた。また胃カメラなどの検査見学では、医師や看護婦、患者とそれぞれの立場の違いや医療機器の精度に改めて感動する。
平成10年から関東地区では、各大学が協議会を設け、薬学生の1ヶ月実習を協力して行うようになった。医師、看護婦と同様に、大学卒業後すぐ現場で役立つ薬剤師養成のためである。このことは、現場の薬剤師にも後進の指導をすることばかりでなく、我々自身も学ぶ姿勢を持ち続けることを期待していると考えられる。私自身は期待に答えることも大切だが、むしろ自分自身を向上させることを忘れずに毎日を過ごしたいと考えている。