疥癬ふたたび その1
「アレッ!」と、参加していた19人が一斉に顔を見合わせました。どの顔も一様にこわばっています。正面スクリーンには疥癬患者様の手が大写しになっています。それはまるで今私たちの病院に入院されているY様の「手」そっくりだったのです。
200X年X月X日の夕方、私たち薬剤師と看護師、ケアワーカーは連れ立って、「疥癬から身を守ろう」の研修会に参加していました。
「さあ、大変!」。皆が心重く、この日の研修会場を後にしたことはいうまでもありません。
Y様は右手に拘縮があり、ほとんど握った状態です。その手で身体のあちらこちらをいつも掻いていました。掌をひろげると皮膚は肥厚し、角化もしていたので、ヘラなどでさわるとポロポロとむしることができました。「あの手が疥癬」などと誰も疑わず、なんとか皮膚を奇麗にしたいと色々な薬や処置を試し、今日に至っていたのです。
またこの研修会のちょうど1週間前から当院では定期的な皮膚科専門医の往診が始まっていました。この先生の往診は診ていただく患者様や体の部位を前もってピックアップしておくやり方にしていたので、Y様の体幹は診ていただいていたのですが手を広げてみることをしていなかったのです。
そして、この手とそっくりな状態が「疥癬の巣食った状態である」と、研修会で見聞してきたのです。
翌朝、病院内で「見た? 昨日の!」とスタッフが話しあっている姿をいくつか見受けました。そこへ出勤したばかりのN医師が加わり、急遽ナースステーションでカンファレンスが行われ、Y様の手を調べることになりました。
N医師と看護師、それに薬剤師A君がチームとなり、病室に向かいました。医師は厳重に手袋をし、患者様の手から皮膚の一部を採り、スライドガラスに置くとA君が固定液を一滴垂らし、カバーガラスで覆います。看護師は患者様の手の後処置をします。3人の連携プレーでたちまち検体が5個できました。次は検鏡の開始です。
通常では疥癬の元であるヒゼンダニは検鏡してもそうそう簡単には見つかりません。倍率を100倍にセットし、顕微鏡の接眼部に目をあて、ピントの調節です。ピントが合うと、A君は目を疑いました。いきなりダニがうじゃうじゃと見えるではありませんか。数えると1視野になんと10匹以上もいました。
「ウッヒャー!」。日ごろ冷静な彼でもびっくり仰天し、廊下を一目散に駆け出し、まず私のいるDI室入り口で「ノルウエーです」と一声叫び、また駆け出しました。そしてまだY様の病室にいたN医師を見つけ、そっと耳元で「ノルウエーです」とささやきました。医師はうなずき、すぐ顕微鏡に向かいました。
見事に予想は的中! すぐ、病棟中のスタッフを呼び集め、「Y様が今、ノルウエー疥癬とわかったので、これからマニュアルに沿って対応をしっかりやりましょう。まず私は疥癬患者様の判別作業にかかります。看護師主任と薬剤師のS君とで診て歩きます。看護部長とあとの人は疥癬の対応と拡大防止対策も含め、対処してください」と、N医師が号令をかけました。
これに続いて「昨日の研修会で聞いていますね。心配せず、やることをきちんとやれば、拡大も防げると思いますから、がんばりましょう。患者様のこれ以上の感染拡大と職員への感染をなんとしても防ぎましょうね」と、私は皆を励ましました。
この病院では数年前に疥癬が初めて発生し、右往左往の経験があり、それが契機で、マニュアルをはじめ、疥癬のすべてに対応するルールが出来上がっていました。でもノルウエー疥癬は感染力が強く、さらに厳しい状況です。まさにこれは騒動などというより、戦闘なのです。
これが、忘れもしないX月X日の目まぐるしく大変な1日の幕開けでした。