本当はマネジャー
私は平成12年に今の病院に就職しました。百床以下の小規模病院は初めてでしたが、数日後には各セクションでやっていることが丸見えでした。そこで機会あるごとに、改革を促す意見を話し続けました。
平成13年暮れに院長より役職兼務の話があり、私は「事業部次長」ならと引き受けました。この役職なら院内でオールラウンド的に口を挟むことも職員の理解が得られると思われたからです。実際このことが発表されると、「薬局長がなんでここまで言うの」というそれまでの陰口は耳にしなくなりました。
事業部次長としての最初は、外部の相談役を導入することでした。これはここ数年、厚生労働省が進めている医療改革がいよいよ本格的になってきたことへの対応を早くすべきだと考えていたからです。まずは病院の構造設備面での問題と病床区分についての検討でした。実はこの医療改革に対応する知恵が自分にはまだまだ不足していること、またこの点を補う人材が存在していないということで、心配が大きかったのです。
紆余曲折はあったものの、その後相談役の導入も決まり、平成14年1月から毎週会議がもたれるようになりました。メンバーは相談役のA先生、病院側から経営陣と、私も含めた幹部職員で、総勢十人でした。進行・記録を私が受け持つようにと院長から指名があり、会議は試行錯誤を繰り返しながらも、いろいろな改革事項を決定していきました。
病床区分とは、入院患者を急性期と慢性期のどちらのタイプにするかということです。当院は内科のみの両者ミックス型で長年診療を行ってきました。しかしここで改めて急性期を選べば、今の医療水準に即した建物や設備が不足しているため、多くの改善が必要でした。また社会の高齢化と共に、かかりつけ患者様の高齢化が激しいという分析も出ました。結局、入院は慢性期の患者様だけを扱うことになりました。それはいわゆる老人病院になることでした。
これらの方向性が出たあと、次は建物の点検です。相談役が紹介してくださった建築会社に建物や設備の耐久・耐震状態の診断をお願いしました。彼らは、老朽化している建物をくまなく見て歩き、立て替えの場合と一部手直し(リフォーム)の場合での試案を示しました。いずれにしても莫大な金額の数字が示され、結局リフォームに決まり、この担当が私となったのです。
リフォームに入る前の打ち合わせ、入院中や外来に見える患者様への配慮、職員の仕事への支障を最小限にすること、もちろん事故が起こらないことが一番大切ですから、毎日めまぐるしい日々が続きました。表面的なリフォーム工事は8月から10月までに終わりましたが、その前後を含めて約半年間、私は忙しいかぎりでした。
そしてもうひとつ、新しい試みをしました。それは職員の意識改革を進めるため、すべての職員に一度に話す機会をつくるということで、「昼礼(ちゅうれい)」を始めました。とにかく2週間に1回、午後の業務開始前15分間に職員を集め、話を同時に聞いてもらうことでした。はじめのうち、「患者様には親切に」とか「言葉使いは丁寧に」とかを話しました。その後、「医療改革のこと」「リフォームがなぜ必要か」などにもふれました。こうして繰り返される「昼礼」は、伝達事項があればそれについて話を進めるので、何ということなく終えられます。しかし伝達などなければ話す内容を前もって準備しなければなりません。このような時、私は書店に向かいます。ビジネス本のコーナーでネタを仕入れ、お話メニューの一丁出来上がりとなるのです。
病院はセクションごとの仕事が非常にはっきりした職場です。しかし最近は、院内感染防止対策・医療安全対策・褥瘡対策など、どれをとってもそのセクションに任せればOKという時代ではなくなってきています。チーム医療の実践が必要なのです。
今や事業部次長なる肩書をフルに使い、私はどのセクションにも出入りし、さまざまな意見の聞き取りと調整に歩き回っています。そして近ごろ、「これってマネジャー!」と思えてきました。病院の中で医療職と非医療職のつなぎ役が必要と感じていたのでピッタリです。私の場合、たまたま薬剤師だったため、医療を知った者がマネジャー役を務めることが良い結果につながっていると思えます。
この事業部次長の役名は今や「ホスピタルマネジャー」とか「ゼネラルマネジャー」の方がもっとすっきりはまるような気がする昨今です。