はじまりはペンネーム
平成12年9月にホームページを開く際、多くの知り合いから助言がありました。そのひとつがペンネームの使用でした。
まず、現在も病院勤務なので、勤務先や友人たちに迷惑をかけないこと、家人にも同様に迷惑にならないことなどです。特に私の子供2人はまだ学生でしたから、影響が出ることを極端に恐れました。そして本名は親が付けた名前なので、ペンネームでは自分が一番好きな字をと、ほぼ1年の間、何かにつけて考えておりました。
ペンネームの「湯野」は、私が自分の中で最も郷愁を感じている石川県寺井町の小学校の名前です。この学校では毎年、写生会がありました。校舎前の道を突っ切り、小川を渡ると、小高い山になります。この山は学校園といわれ、学年や組ごとに花や木を世話するようになっていました。実は私は絵を描くのが大の苦手だったのですが、ここでの満開の桜は現実を忘れ、夢の世界に誘ってくれるのでした。この桜吹雪は記憶の中で一番美しい風景です。そういえば、昨年帰郷した時、この山の入り口には「湯野公園」という石碑が立っていて、もう学校園ではないようでした。
またこの町は父母の故郷で、今は2人とも仲良くこの地に眠っています。湯野、それは私の故郷を思わせる言葉なのです。
母は文子(ふみこ)といいました。私の家系では薬剤師1代目でした。明治45年生まれでしたので、今も存命ならば90歳を越していることになります。そういえば早いもので、今年は母の十三回忌でした。
自分が年を重ねるにつれ、歴史の史という字が格別に気に入ってきました。支えあって生きているというふうに見えます。ちなみに私の本名の房子の房が四角い部屋などの意味があり、子供のころから、閉鎖的な暗いイメージを持っていました。また学生のころ読んだ小説で房子という女が登場し、とても嫌な悪女だったため、内心、大いに傷ついたものです。
こうして「湯野史」というペンネームの考えがほぼまとまったのは、平成10年ころでした。
さて次に、このペンネームで何をしようかと思い、幾つか案を練りました。わかっているのは文章を書くのが好きというだけでした。本を書く、投稿する、同人誌の会に入会するなどを思いつきました。ここで我が子たちの意見を聞いて見ました。「文才はない。嘘はかけない。まして小説などはもっと駄目でしょう」と、手厳しい答えがすぐ返ってきました。救いは次女が「エッセイなら何とかね」と言った言葉でした。
早速エッセイをいくつか読んで見ました。「フムフム、できるかも」と自分で自惚れました。そして1ヶ月に1編のペースで作品を作り始めました。薬剤師としてやってきた話ばかりです。ちょうどそのころ「看護婦物語」という言葉をどこかで耳にしました。なるほどと思い、私の作品タイトルを「薬剤師物語」とすることにしました。ドラマや小説で薬剤師が主人公はなかなかお目にかかれなかったからです。
作品ができると、まず家族に見せました。でもそのうちに家族は熱心に見てくれなくなりました。まるで私が24時間仕事をしているようで嫌だ、というのです。ではと友人や知人に無理に読んでもらいました。彼らの大部分は医療に関係のない方々ですから、物の珍しさもあり、親切に「言葉が難しい」とか「説明ばかり」などという多くの意見をくださいました。
約1年後にはエッセイが10編以上になりました。そのころには、楽しみながらできるのはホームページだとわかっていましたので、次女の協力でこれを開設することにいたしました。そして平成12年の春から本格的な準備に入り、ようやくその9月にホームページを公開しました。
エッセイというにはちょっと違う感じの文章かとも思いつつ、どうにかホームページにはもう20編以上のエッセイをのせることができました。また最近はトピックスということで、よく質問を受けることを解説した資料も公開しました。メールなどでの真面目な質問も届いて、多くの方々と交流ができ、お陰で知り合いがいっぱいできた気がしております。
私は夜になると時々「湯野史」に変身し、日常の仕事を振り返ります。薬剤師として医療現場であと何年働けるか、今まで得た知識をどう生かしていくか。最近興味を持ってきた医療全般や病院全体のことを今後役立つようにできるか。まだまだ課題は多いのです。ホームページを見てくださる方々の意見も参考にしながら、今後も自分なりの社会貢献を目指したいと思っております。