薬剤師の顔
平成13年11月はじめ、さいたま市でセミナーが催されました。「今後の厚生労働省の展開と病院薬剤師」という演題で、日本経済新聞社の科学技術部編集委員である中村雅美氏が講演をされました。同氏は薬剤師ですが、今まで一度も薬剤師免許を使用して仕事をしたことがなく、「箪笥(たんす)免許です」などと、参加者を笑わせながら話を進められました。その内容の概略は次のようでした。
社会の変化と医療制度を中心に話が始まり、特に医療業界が閉鎖社会から開放社会になる見込みが立っていないことを嘆いておられました。それは製薬業界が他の産業にくらべ、保護され続けて来たことが、産業論を踏まえた順調な発展をしなかったから、と指摘されました。二十一世紀の医療は高齢化を迎え、疾病構図の変化への対応をはじめ、患者を重視すること、競争原理を導入すること、根拠に基づく医療がなされること、医療スタッフのモラルが向上することなどと課題が山積みと言われています。その中で薬剤師は今どうあるべきかを考えた時、先日発表された薬剤師適正配置問題を引用されました。
病院などの薬剤師の適正配置を検討する会は、本年10月まで数回行われた政府の諮問検討会で、病院での必要薬剤師数を検討していました。本年10月末に出された答申は現状維持であり、3年後にまた見直しを検討するというものでした。この結論について氏の見解は、非常に客観的でした。一般の方々から支援されなければ、より多くの薬剤師を病院などに配置したいという私たちの希望は無理、とのことでした。
外来患者は調剤薬局や病院薬局で薬剤師から直接薬を渡される場合が最近はかなり出てきています。その時に薬剤師たちは十分患者に説明を行っているでしょうか。患者は「薬剤師さんから薬をもらってよかった」と思っているでしょうか。
また入院患者は、服薬指導ということでだいたい1週間に1回、薬剤師と会うだけです。看護婦は1日に何回となく患者に会います。医師もしかり。となると、薬剤師がたまに部屋に伺ったとしても薬剤師の顔は患者には馴染みがないのです。入院中の患者が当然24時間病院にいる中、看護婦も医師もおります。しかし薬剤師は24時間病院の中にいない場合がほとんどです。「とにかく薬剤師の顔が見えないのです」。最後にこの言葉が残されました。
改めて私は考え込みました。「やはり毎日の配薬を引き受けるべきか」と、また思いました。実はこれは私が服薬指導の取り組みを考え出したころからずっと心に思っていたことでした。とにかく患者の前に毎日顔を出すことと確信し、翌日職場でのミーティグでこのセミナーの概略を話しました。
集まった薬剤師はみな同様に納得するのですが、実際に自分に降りかかる事態は別のようでした。すなわち、24時間態勢は当直を意味します。配薬は毎日あり、さらに朝昼夕の食事の前後と就寝前、また頓服(とんぷく)薬などもあります。これらを全部いままで看護婦がやっていましたから、そのままでもよいのではないか、と言い出します。
私は、とにかく1日1回は患者の顔を見て、患者の具合や薬の効果を自分の目で見ることも必要ではないか、と話しました。
ここで一人の若い薬剤師が発言しました。「ラウンドだけでもやってみてはどうでしょうか」。これはなかなか良いアイデアでした。ラウンドとは、看護婦長などが患者の状態把握のために朝、各病室を一回りすることです。「また皆で考えましょう」と、この日のミーティングを終えました。
このように取り組みの大小にかかわらず業務を変えていくためには、一緒に働く薬剤師たちとの話し合いの後には看護婦や医師との話し合い、病院全体のスタッフへの説明と同意を得られなければ、ことは始まりません。業務はひとつでも、やり方を変えることは大変なのです。私としては一度始めることになれば途中で「やめた」などとは口が裂けても言いたくないのです。
さて、今後この取り組みはどういう事態になるか、まったく見込みが立っていません。まず患者のためになることを踏まえ、今後も挑戦したい薬剤師の顔見世作戦なのです。