学術大会の実行委員

平成13年8月25・26日さいたま市で日本病院薬剤師会関東ブロック学術大会が行われました。この大会は毎年順番に各県の病院薬剤師会が担当し、今回は埼玉県病院薬剤師会が当番でした。私は本年春から急遽実行委員に選ばれ、無我夢中の半年間を過ごしました。これはその顛末記です。

この大会の準備は2年前から始められており、私が春に参加した頃にはすでに16回も実行委員会が行われていました。また「新世紀における病院薬剤師のあらたな挑戦」という大会テーマやポスター発表・口頭発表・特別講演・ランチョンセミナー・シンポジウム・県民公開講座を行うことも決定しておりました。

実行委員会は4月までは月1回、5月からは月2回となり、さらに7月からは毎週1回となりました。委員会は日中の仕事を終えた夜に北浦和の事務局で行われました。私は毎回出席しなくてもと心で思いつつ、北浦和まで車を走らせながら、「実行委員会なので遅くなります。夕食は外でお願いします」などと家人に電話するのは回数を重ねるうちにちょっと気が引けたりしました。また実行委員のほとんどが各病院では薬局長の重責を担っておりましたから、なかなか体力的にも大変でした。誰しもが有給休暇や代休、当直明けの時間をやりくりしていたと思われます。また遠方の秩父や越谷から参加する方々は時間との戦いの様でした。

大会が目前に迫った7月中旬、会場のソニックシティの下見がありました。私は今までこの大ホールにはコンサートなどで入ったことはありましたが舞台の上から見る広さは格別でした。1階席1700のホールはとても大きく、果たして人で一杯になるのだろうかと不安感にかられました。また舞台裏の楽屋は大小様々あり、このような機会でもなければ覗くことのない場所でした。

そして8月1日はリハーサルでした。行事のないビルメンテナンスの日が選ばれました。当日は実行委員だけでなく、各係を担当する多くの会員の方々も集まり、約100人にもなりました。招待者や来賓の送り迎えも打ち合わせが行われました。大会実行委員長や埼玉県病院薬剤師会会長は開会式やシンポジウムなどの始まりには挨拶を行わなければなりません。まったく誰しもが大騒ぎでした。

開会が近づくにつれ、ぞくぞくと人が集まってくる様子を見ることは実行委員であればこそ感じる緊張と喜びでした。結果として二日間の大会は関東ブロック1都9県を中心として北は北海道から南は沖縄まで1600名以上の参加がありました

県民公開講座は県や市の広報誌に開催のお知らせを掲載していただいたり、テレビ埼玉まで放映をお願いしたりと、広報活動を行いました。これは埼玉県病院薬剤師会としてははじめての試みでもあり、どれくらいの参加があるか、皆目検討がつかない状態でした。薬の固い話ではお客が入らないのではないかと皆が心配しました。幸い2人の先生の「クスリと上手につきあうには」と「クスリと食べ物との飲み合わせ」という演題が行われることになりました。またこれらの講演の合間に秩父屋台囃の太鼓の演奏も準備されました。私はさいたま市民にこの講座の「ちらし」を送るように住所録を準備し、封筒の宛名ラベルを印刷の上、発送も手伝いました。また「お薬相談コーナー」を設け、そこでも私は相談を受け持ったりしました。この講座は大会二日目の午後2時開演予定でしたが、高齢の方々は1時間以上も前から見えられました。開演30分前には約500名の席はいっぱいになりました。受付で皆さんに配るためにあちらこちらから集めておいた薬や病気のパンフレットはダンボール箱5個分もありましたが、30分間でたちまちなくなり、私達は驚いてしまいました。講座が終了後皆さんが笑顔で開場を出られ、また感想も多く寄せていただきました。

大会終了後、反省や費用の集計のためにも数回の実行委員会が行われ、35回を最後に解散となりました。

私は若い頃は大勢での共同作業が苦手でした。でも今回は自分なりに「頑張った。面白かった」という思いと同時に大仕事を終えた充実感を持つことが出来ました。

来年夏は神奈川県でこの学術大会が開かれます。今回は実行委員として企画運営の方で参加し、実際にはポスター発表や講演をじっくりと見聞することが出来なかったので、次回はぜひゆっくりとした気分で参加したいと思っております。