薬剤師国家試験
昭和43年3月、桜の花がほころびかけた校門を、私は振り返りました。4年間通ったK大学の校舎ともお別れです。校門と校舎に向かって、何となく故郷のT町を離れた時のようなセンチメンタルな気分で、思わず目礼をしていました。それから私は真っすぐ私鉄の駅に向かったのです。卒業式を終えた感慨はここまででした。
電車に乗った時、気持ちは1週間後の薬剤師国家試験に向かっていました。K大学に合格したその日以来、大学からも母からも幾度となく言われていた国家試験でした。薬学部は卒業出来ても、国家試験に合格しなければ薬剤師にはなれません。国家試験合格は私にとっても、当然ながら重大な目標でした。
3月末のポカポカ陽気に包まれ、人々は散策を楽しんでいるようでした。その中を私は、必死の形相で国家試験会場のO薬科大学に向かって走っていました。昨夜は国家試験を気にするあまり寝つきが悪く、明け方になってやっとウトウトしたのです。それがそのまま寝込んでしまい、今、まさに試験開始15分前でした。試験会場までの道はゆっくり歩いても10分ですが、今日はそのようなことはできない事態でした。
息を切らせながら門を入ると、係員が後ろで「ギー」と扉を閉める音がし、滑り込みセーフでした。ホッとしたのもつかの間、再び走り出し、長い廊下に、ドタバタと足音が響いていました。やっと目指す201号室を前に大きく深呼吸の後、そっとドアを開けました。すると室内の全員が振り返り、一様に驚いた表情になりました。
試験監督官がいたわるように、席に導いてくれました。着席すると、試験開始のチャイムが鳴り響きました。試験問題と解答の用紙は、すでに机の上に置かれていましたが、私の目は何もとらえず宙をさまよい、気持ちが動揺しているため、吐き気さえも覚えていました。その時、試験監督官がそっと近づき、小声で「十分時間はありますよ」とささやいたのです。私はその声でハッと我に返り、思わず「さあ、やるわよ」と心の中で叫んでいました。
それからの2日間は無我夢中でした。やっと国家試験を終え、試験会場を最後に出る私に、試験監督官がさりげなく近寄り、「よくやりましたね」と、労いの声をかけて去って行きました。私は子供のように「ありがとうございました」とうなずきました。それと同時に涙がどっと溢れて枕を濡らし、それで目が覚めるのでした。
大学卒業後、私は数年間この夢をよく見ました。友人にこの夢を語ると「あの日は私と一緒だったのよ。時間に余裕をもって受験したのよ」といつも言われます。何回も同じ夢を見るうち、どれが本当だったか、この30年で私自身区別がつかなくなった記憶です。
さて、その年の7月、病院の職員宿舎で私は朝からまんじりともできませんでした。いよいよ国家試験の発表なのです。私は故郷の登録で受験したので、田舎の新聞発表待ちの状態でした。朝10時になろうとするころ、廊下の電話がなり、私は急いで飛びつきました。懐かしい母の声が弾んでいました。「おめでとう」。私は、これで職場の正式採用が決まることにホッとしました。
それから約30年後の平成13年3月24日と25日の2日間、第86回薬剤師国家試験が全国一斉に行われました。基礎薬学、衛生薬学、法規・制度、医療薬学TとU、合わせて240問、相変わらず盛沢山です。しかし昔と違い、受験生たちは過去問題集や予想問題集も容易に手に入るようです。各大学も受験に大いに気を配ります。特に私立大学では、大学の評価にもつながるとの認識があるようで、先生方は神経をとがらせています。
この春も4月18日に合格発表がありました。以前とは違い、若者たちはいろいろな情報網を駆使し、ほとんどその日の内に結果を知ることができるようです。
そしてあちこちの病院や薬局で多くの若者が吉報にほっとし、薬剤師修行に本格的に取り組みはじめています。
私のいる病院でも、こうして誕生したちょっと大柄なひよこ君が、毎日たくましく走りまわっています。