2月に入ってすぐのある日、外来診察室でB様が家族に付き添われて診察を受けていました。
B様は77歳の女性。いつもは明るく、よく冗談を言われる方です。しかし今日は普段とまったく違います。看護婦の呼びかけにも、うなずく程度です。医師とのやりとりは、付き添ってきた家族がしています。彼女は二、三日前から少し頭痛を訴えていました。その後、右手に力が入らなくなり、次の日には足がうまく前に出なくなりました。驚いた家族が急いで病院に連れてきたということでした。
医師はすぐCT(コンピューター断層撮影)検査をすることにしました。ほどなく出来上がったCT写真は、脳の一部が不鮮明でした。続いてMRI(磁気共鳴画像診断法)検査が行われました。今度は、はっきり脳の一部に異常が見られました。脳梗塞です。直ちに入院となりました。医師から次々に指示が出されました。B様は重度の意識障害が出ていないので、脳梗塞といっても比較的軽いうちに処置を開始できた幸運な例でした。呼吸は普通でしたので、あとは血圧管理と脳の浮腫治療が中心です。また血液をサラサラにすることも大切です。
毎日、アスピリンの少量内服投与や脳循環代謝改善薬の点滴などが、2週間続きました。
入院5日目に私が服薬指導のために病室を訪問すると「手に力が入らない。足も動かない」とB様は訴えました。その日は、使っている薬の効果を説明し、「きっと大丈夫」と励まして退室しました。
10日目に再び病室へ行きました。一歩私が部屋に入るとすぐ気付かれました。「手に力が入り、グー、パーもできるわ。足も少し動くのよ」と嬉しそうでした。
14日目、今までの点滴注射がこの日で終わりの予定でしたから、再び訪問しました。
「食事は自分でできます。トイレは伝い歩きでベッド脇のポータブルですませています。明日からリハビリ開始です」と、こちらが口を挟む余地がないほど次々にお話をされました。
B様はその後、2週間リハビリを毎日欠かさず行うことが出来ました。そして入院から一ヶ月後、めでたく退院となりました。
脳梗塞には、脳血管に生じた血栓が血流障害を起こす脳血栓、血流障害から脳内虚血が生じる脳塞栓などがあります。いずれも早い対応が命を救い、病後の回復を左右します。
私は母を平成2年に脳梗塞で亡くしました。彼女は数年来高血圧症でした。5月のある月曜日の夕方、いつものように機嫌良く近所の散歩をしました。その夜は大好きな「大岡越前」をテレビで見ました。そして「今日も無事に過ごしました」と言い、普段と同じ様子で自室に戻りました。翌朝、母はいつもの時間に起きてきませんでした。兄嫁が声をかけた時、意識はなかったのですが、少し微笑んだように見えたということです。
私は母が病院へ運ばれたという知らせを受け、すぐに駆けつけました。担当医師に詳しい説明を求めると、運動機能などをつかさどる脳の部分のダメージが大きいとのことで、「1週間が山でしょう」と告げられました。私の勤務先の医師たちも、皆同じ答えでした。本人が従来からこのような場合、延命治療を望んでいなかったこともあり、私たちは静かに彼女を見守りました。そして本当に1週間後、母は旅立ちました。78歳でした。
もし母がB様のように早めの対応ができていれば、どこまで回復できたでしょうか。少なくとも命を落とさずにすんだかも知れません。多くの患者様を見るにつけ、どのような病気も早期発見が大切だと痛感しています。そして自分自身も家族もお互いに見守る気持ちを忘れずに、元気に毎日を過ごしたいものです。