治療薬物濃度モニタリング(TDM)

私は朝いつものように病棟での申し送りに参加していました。狭い看護婦詰め所では人と医療機器で所狭しと言う感じでした。

私のすぐ後ろでは患者監視用モニタ-が三人分のバイタルを規則正しく「ピッ、ピッ、ピッ」と知らせていましたが突然、これが「ピピピピ、、、、」とけたたましく鳴り出した。

「A様の心拍150です。」

「A様は昨夕から様態が悪化し、ネオフィリン、ジギラノゲンCが追加されています」。

看護婦が次々に説明の言葉を叫びます。

「ちょっと待って。その薬品は正確に何時から入ったの。ジゴキシンとテオフィリンのTDMは終わったの」と私は質問しました。

ネオフィリン注射薬はテオフィリン製剤といい、気管支拡張薬や強心薬です。ジギラノゲンC注射薬はジギタリス製剤といい、やはり強心薬です。どちらも体内の薬の濃度管理を厳しく行なってこそ、充分な薬の効果を期待できるものです。

この患者様には確かこれらの注射薬は昨日まで使われてはいなかったはずです。急いで私は自分の記憶に間違いないか、カルテや看護記録、投薬記録を確認しました。するとこの薬が開始されてもう12時間が過ぎているではありませんか。検査するには充分な時間です。また内服薬で同じテオフィリン薬であるテオドールがかなり以前から使われていることも分かりました。

すぐに担当医師が呼ばれました。彼は診察の後、これらの注射薬が入った点滴を中止し、別のものを開始するように指示しました。午後になり検査部門から点滴変更前の採血から得られたデータがあがってきました。テオフィリンとジギタリスの血中濃度が上限を越えていました。まさに危機一髪、薬が効きすぎて心臓がむやみに働きすぎたところでした。長時間この薬品が高濃度になれば、また大変なのです。これらの薬は中毒範囲に入ると、呼吸困難やけいれんを起すこともあります。

どのような薬もほとんど人体中でこのように最も効果的に働く適正濃度があります。これを知るために血液中から成分薬の含量を測定します。適正濃度以上に含まれていれば薬物中毒になる可能性がでます。またこれ以下なら、薬が効かないことになります。そこでこのような特定の薬に対して特に厳しく血液中の濃度を測定し、医師に薬の適正な投与量や投与間隔などの提案を行なう業務が登場してきました。これが「治療薬物濃度モニタリング(TDM)」です。対象となるものにはてんかん薬、心臓病薬、喘息薬などがあります。また最近よく話題の臓器移植時には欠かせない業務です。

今、日本の医療機関ではTDM業務を薬剤部門がにないつつあります。検査とデータ解析、処方支援を迅速に行なうことがより良い治療を生み出します。いわゆる大学病院や特定機能病院では近頃は当然行なわれています。しかし市中病院では薬剤師不足でなかなか手が回らないのが現状です。

中田病院ではやっと一年前に病棟へ薬剤師が出入りし、注射薬業務や処方箋チェック、服薬指導を開始したばかりです。現状ではTDM業務をできる体制にはなっていません。しかし今日のように少しでもこの業務に関連したことを耳にした時は放って置けません。それなりに出来るだけの支援をしてゆきたいと私は考えています。適正濃度の値や採血時間のタイミング、検査結果からの今後の治療の見通しへの支援は大切にしたいのです。

午後になって患者のA様はかなり回復され、スタッフ一同ホッと一息つくことができました。

 

※語注

バイタル=バイタルサイン(vital sign)。人の生命(vital)の基本的な微候(sign)のこと。血圧、脈拍、呼吸、体温などをさします。