かいせんそうどう

疥癬騒動

「ルルル、、、、」。机の電話がけたたましく鳴りました。
「3週間前に転院してきたN様だけど、疥癬だと思うんだよね、、、、、」と、H医師の大声が響いてきました。思わず時計を見ました。もうすぐ午前11時。私は返事もそこそこに立ち上がりました。
 「これは大変だ。覚悟を決めて取り組まねば」と自分に言い聞かせていました。疥癬の怖さを知っていたからです。

疥癬はヒゼンダニというダニが皮膚の角質層に寄生しておこる皮膚感染症です。たしかナポレオン時代の戦争で疥癬が流行してフランス軍の戦意を失わせたという話や、肖像画のナポレオンが胸に手を入れているのは疥癬で痒い(かゆい)ためなどという話を、本で読んだことがあります。
 このダニは、肉眼ではほとんど見えないくらい小さいのです。卵は2〜3日で孵化(ふか)し、3〜4日で若虫、その後5〜6日で成虫となります。交尾後、雄はまもなく死ぬのに、雌は2〜3個の卵を産み、4〜6週間生き続けるようです。
 感染して2週間から1ヶ月の潜伏期間後に発症します。激しい痒みと赤いポツポツ、水ぶくれ、細長い皮疹などがあらわれるようです。完全に退治するにはとても時間がかかるのです。

医師、看護婦とともに病室に向かい、患者さんの身体を見せてもらいました。
全身にはっきりと症状が現れています。
「痒みやポツポツがはやく治るようにいたしましょうね」と患者さんに声をかけ、一同は看護ステーションに戻りました。
「疥癬に間違いないね」。医師の診断が下ったのです。
「前の勤務先で扱った経験があります。治療法や看護法、掃除の仕方、拡大防止策などの資料を集めてきます。1時間ほど時間をください」と、私は提案しました。昼食後の集合を約束して、おのおのが持ち場に散りました。

私は本棚から疥癬についての記載を探し出しました。さらに最新情報を求め、パソコンに飛びつきました。インターネットで医療、疥癬と次々にたどって行ったのです。170件以上の情報があふれていました。その中から岩手県疥癬対策連絡会と福岡大学病院院内感染対策マニュアルを取り出しました。すぐに活用できそうな情報がしっかり提供されていました。「ありがとう」と、思わず独り言をいっている自分がそこにいました。

昼食もそこそこに病棟の看護ステーションに行きました。集めた資料を見せると、一同はしばらく押し黙り、必死に読み続けていました。口火を切ったのはH医師でした。「当院でははじめてのことだね。610ハップ、オイラックス、γBHC(ガンマービーエイッチシー)を使おう。患者の対応、面会、スタッフの出入りなど、岩手の資料をもとに、婦長が指示を出してね。なるべく短期間に、拡大しないように対応しょう。みんなで協力して。1週間や2週間で退治できることではないようだから」。皆はうなずきました。
 私は部屋に戻り、電話にしがみつき、一刻も早く薬を入手出来るように努めました。こうして翌日から本格的な撲滅作戦が始まりました。

このように医療情報の検索や提供は今、薬剤師の大切な業務のひとつとなっています。中田病院の疥癬騒動は約3ヶ月かかりました。再び同じことを繰り返さないために院内感染対策が強化されたことを、最後にご報告いたします。