はじめに
私は高校2年生の秋、進路決定に迷っていました。小さいころから音楽が大好きで「音大に行きたいなあ」と思っていたからです。戦争未亡人で苦労した母に何日も言い出せず悩んでおりました。
そんなある日、小学1年生当時の通知票が目にとまりました。何気なく開けると「美声ではないが正確に歌う」と書いてありました。この一大ショックで音楽の道をすっかり思い切ることが出来ました。昭和30年代後半のその当時、女性が一生の仕事とするのは教師か薬剤師がお勧めでした。そこで、当時理数科目に興味を持っていた私は、薬剤師の道を選びました。
薬学生時代も終わりに近づいたころ、医師でもあった教授が「代謝物や酵素の測定が病気の診断にとても役立ちます。これからは検査データが重要視される時代になるでしょう」と述べられました。病院の勤務薬剤師への道をほぼ決めていた私ですが、はじめに検査部門に入ることにしました。検査部門では検査方法や検査値の見方を学びました。病院には、薬剤師はもちろん、医師、看護婦など多くの有資格者が働いていますから、その人々を病院薬局の外から見るのも悪くないと思い立ったからです。そして約3年間検査に携わり、その後病院薬局に移って現在に至っております。
病院薬局に入った時、中途半端な新人に、指導の薬剤師は大いに迷惑そうでした。とにかく3ヶ月間は掃除ばかりで、薬に触らせてもらえなかったことは、つらい思い出です。同期の仲間がかばってくれたので乗り越えられました。
薬剤師になって約10年間は、毎日調剤がすべてでした。
調剤とは医師が書いた処方せん通りにお薬をつくることです。
平成と年号が変わったころ、久しぶりに参加した研修会で「やっと山が動きました」と講師の先生が切り出されました。調剤だけではなく、服薬指導や薬剤管理指導業務の展開を予言されたのです。
服薬指導とは、患者さんが安心して服薬出来るように指導や助言をすることです。
薬剤管理指導業務とは、患者さんについての情報収集や服薬指導記録の作成を通して患者さんへ有効で安全な薬物療法を行うことです。
私は慌ててしまいました。たまたま我が子の育児も少し手がかからなくなり始めていたことも幸いでした。心機一転、勉強会や研修会に参加してみました。それ以来、仕事の状況はドンドン変化していますが、今日までどうにか楽しく仕事を続けております。
亡き母が薬剤師職を退いた日、電話で「お陰様で大過なく終わりました。ありがとう」と申しました。新米薬剤師の私は「あっ、そう、ご苦労様!」とあっさり答えました。しかし今、数年後の自分自身の退職日を思う時、それまでに何をなすべきかと考えました。そこで、変わりつつある病院薬剤師の仕事を少しでも世の人々に知ってもらいたいと考え「薬剤師物語」を書き始めることにしました。
最近に限らずテレビや映画に登場する医療関係者は、医師や看護婦がほとんどです。薬剤師は今まで縁の下の力持ちで、地味な存在でした。調剤室の中にこもり、薬の数を数えたり、調合したりするだけの時代は終わりました。調剤室から出て、患者さんと直接お話をする機会がずっと多くなりました。薬局窓口でお薬の受け渡しの時もお話をします。
お薬相談室やお薬相談コーナーなど、あちらこちらの病院で真面目に仕事に取り組んでいる薬剤師の姿を皆様に見ていただきたいのです。また入院中の患者さんにはベッドサイドでお話出来る機会もあります。
患者さんが十分お薬を理解した上で治療に専念していただくことが、私たち薬剤師の新しい喜びとなっております。
次回からは、皆様に興味のある出来事を多く語ることが出来ると思います。どうぞお楽しみにお待ち下さい。